この世の中においては、メール下手は恋愛下手
昔からすれば、ドラえもんとそう違いない世界であり、想像することの出来ない世界であろう。現代に生きる人が恋愛をするにあたってかかせないツールとして、まず携帯という媒体をあげられる。携帯がないと恋愛ができないといっても過言ではない時代になってしまっている。20代の若者の恋愛に対して「親指恋愛」なんて言葉もあるほどである。要するに、なんでも携帯からはじまるのだ。恋人としての生活も、別れるという決意も、新しい一歩を踏みだすことも。もはや、携帯は、ただの電子機器という伝達ツールではなく、自分の分身なのである。
今の時代、友人の紹介で知り合うのも、紹介相手に連絡をいれるのもメールから始まる。そうなった場合、第一印象は、メールで決まってしまうのだ。また、飲み会でメアドを交換する。後々メールのやり取りを行いだすと、飲み会の時の印象よりも、メールでの印象を優先してしまう。なんだか、自分自身の印象とは、少し離れた自分と相手は恋愛しているようにも思われる。言い換えれば、自分の恋愛を自分ではない、自分の分身である携帯に8割程、託し相手とは違う相手の分身を見て相手のことを決めつけているのである。
伝達手段が発達した今、会う時間よりも携帯という媒体を通して、繋がっている時間の方が多いのであろう。会う回数が増えれば増えるほど、相手がメールという分身をどう扱っているのか、わかってくるであろうが、それまでは、携帯が全てである。
「携帯ではわからないことは、山のようにある、携帯で繋がっているのが全てではない。携帯は、恋人にも友人にもなりえない」そんな事は、誰だってわかっている。しかし、文字を見ていれば、その人のアウトラインがみえてくる。几帳面な人であるのか、いい加減な人であるのか、面白い人なのか、話題を豊富に持っているのか、好奇心の旺盛な人なのかそういったことがぼんやりとわかってしまう。分身は自分の本体を知ってほしいとおもってるのか意外とおしゃべりさんのようである。